BOY’S VOICE 新・永遠の少年たち

少年の声と少年文化に特化したブログです。

来日ソリスト列伝  ベンノ・ヒュットラー

今でも恋焦がれるソプラノです

ベンノ君

昨日、韓国人のfly2moonさんよりいただいたコメントで、ウィーン少年合唱団の'89年来日組を懐かしく思い出しました。fly2moonさんは、天才ソリストと言われていた当時12歳のマックス.E.チェンチッチ君のファンだということでしたが、昔懐かしい映像を見ているうちに私の中ではまたベンノ君への想いが膨らんでしまって、ようやく”ベンちゃん”についてちゃんと書いてみようかな、と思いました。


とはいえ、今から20年程前のこと、今と違ってネットで検索すればポンと情報が出てくるわけではありません。来日当時、恐らく絶大な人気を誇ったであろうベンノ君についても、地元での公演を一度しか見られなかった私には風の噂や一時的な合唱ファンの文通などで話を聞くのがやっとのことでした。ボーイソプラノデータベース(BCSD)など世界中に優れたボーイソプラノ情報を満載しているサイトでも、レコーディング情報すらないベンノ君の情報は見つかりませんでした(涙)。


ベンノ君とは、本名ベンノ・ヒュットラー(Benno Hüttler)。1977年2月22日生まれの生粋のウィーン子。今日時点で換算するともう34歳なんですね。兄のゲプハルト(GEBHARD)君も'80年来日組のメンバーでした。同じ金髪ですがかなり小さい団員として来日していてベンノ君よりは精悍な顔立ちですね。お父さんはコーラス・ヴィエネイシスのメンバーで、'89年東京で1度だけ演奏された特別プログラム(通称Cプロ)にも参加、親子共演をしています。


なんだか家族一同ウィーン少年合唱団と深い繋がりがある感じですね。ベンノ君と言えば、オペレッタ『デニス氏夫妻』の愛くるしい娘ルシール役が思い浮かびます。脳みそみたいな(笑)銀髪のカツラを頭にのっけて薄いブルーのドレスを纏って、恥ずかしいのかやや伏せ目がちで台詞を語るその姿に一瞬で心奪われました。口元にハッキリ浮かび上がるエクボがトレードマーク。白い陶器を思わせる透けるような白い肌、少しピンクがかった頬、いずれも少年というよりまさしく少女そのもの。


見てくれの可憐さもさることながら、その独特の澄み切ったボーイソプラノには虜にさせられました。”ベンノ節”というのでしょうか、吐息の先から語るように歌いこむタイプの、もう大・大好きな歌声でした。少年にしか出せない凛とした、素朴で繊細な天上の声。このテの声は、かよわい場合が多いのですが、ベンノ君の声は、力みすぎなくても空気を伝ってピーンと伝わってくるのです。


'92年来日組のペーター・マティアス君も似た声質でこちらも大好きでしたが、ベンノ君は地声も高くて、もう少し”愛らしさ”を感じさせました。マックスがあまりの完成度で有名ですが、ベンノ君も埋もれさせるには惜しいほどの優れたソリストで、'89年組の抜群のハーモニーの中、独特の美しい響きで歌い上げていました。全国公演で各地を廻ったときには、ソロコーナーで「バッハ/カンタータ78番」や「パーセル/汝ら芸術の子らよ」から”Strike The Viol”をデュエットで歌ったとか。話を聞いて羨ましすぎて倒れそうでした(笑)。

ソリストが多く贅沢なオペレッタ


『デニス氏夫妻』でルシールの若き駆け落ち相手(笑)、ガストン少年をステファン・マイベック(Stefan Meibock)君が演じました。ベンノ君との組み合わせが素敵で似合いの恋人同士に見えましたね。ステファンも、優しいソプラノが印象的で、2人の声は親和性が高かったと思います。たとえ演技で、少年同士であっても、女装の可愛いベンノ君との共演はさぞ楽しかったんじゃないでしょうか(→勝手な憶測です)。


2人を追ってきた警備兵ペルローズは、ボーイアルトのマルクスフォーレ君(Markus Folle)。165cm以上はありそうな長身で強烈な印象がありました。Bプロのオペレッタ『カリフの鵞鳥』*1では、悪役フィルジバッハをクレメンス・ペルグラー(Clemens Pergler)が演じてました。アルトのソリストもある程度歌える少年が揃っていたのが強みの組でしたね。


こちらのオペレッタでも、ヒロイン・ゼルマイヤー役がベンノ、恋人ムラッド役はマックスで、2人とも生き生きと演じていました。マックス君は、謎の大阪弁を意気揚々と披露して(ちゃんと笑いを狙ってました)と客席を爆笑の渦にしてましたし、ベンノ君は「あなたと二人きりでいるなんて」「〜かしら」という全身で清楚な娘ぶりがハマっていて麗しかったです。



近年、ウィーン少年合唱団からレパートリーのオペレッタが無くなったのは、少年団員達が女装することへの抵抗感が強いとか、教育的見地からだとかワケのわからない噂を聞いたのですが、くだらないの一言です。むしろ、異国出身の団員ばかり集まりで、古き良きウィーンのオペレッタが出来なくなってしまったのかもしれませんね。


日本を去ってからもベンノ君は、ソリストの一人としてちゃんと活躍していたそうです。その後の軌跡がよく分からないのは、発売される音源のソロがほとんどマックスばかりだったからです。「マックスと同時代でなければ・・・」と思わなくもないのですが、ベンノ君のような繊細なタイプの声は、あまり録音向きではなかったのかもしれません。残念でなりませんが、日本に来てくれて、ナマで聞けたことが実は一番の幸せなのかもしれませんね。

【今も歌手でした】


ブログを書こうと思ってググってみたら、今のベンノ君情報があっけなく見つかりました。やっぱネットは侮れません。ウィーン・コラール・スコラ(Wiener Choralschola)というグループの一員でバリトン歌手として歌っているそうです。来日したソリストのほとんどが、タイプの違いはあれど「歌手」として活動をしているというのはすごいことです。それだけの歌心の強い少年達だったのか、と新たな感動もあって。


歌手といっても、グレゴリオ聖歌など宗教色の強い曲を主に歌ってるようですね。写真を見ると逞しく、オッサンになってる(笑)ベンノですが、面影を見ることはできますね。私のドイツ語力はかなり怪しいものがあるので、抜粋でこんなようなことが書かれてるんじゃないかな、ということで。(ドイツ語得意な方、求む!(笑))

ウィーン・コラール・スコラ

は、ウィーンの音楽大学での教会音楽研究の生徒および卒業生によって設立された。
・4〜8人の少人数のキャストから構成されている。
・活動内容は、コンサートへの招待、大聖堂や教会での演奏(ドイツ語圏の国々)。
・2006年にArezzoで行われたコンテストで、”キリスト教のコラール(聖歌)”の部でベストアンサンブル賞を受賞。

ベンノ・ヒュットラー

・ウィーン生まれ。ウィーン少年合唱団でソプラノソリストとして芸術的な感性と豊かな経験を積むことができた。
・ウィーンのホーフブルク礼拝堂の合唱団で1993年から団員に、1999年にはカントルになって、毎日曜日にグレゴリア聖歌を歌った。

・多才なコラール歌手。雑多なウィーンの合唱団、アンサンブル、教会音楽、ウィーン・ノイエン(新)オペラの合唱、Vokalmusikに参加。


ベンノ君の性格がどうだったのか、気の強い男らしい子だったのか、そういうことは知りません。テクニックが凄いとか、上手なソリストとかそういう少年とも一線を画していると思います。上手く歌おうとか余計な意識を排したような、ボーイソプラノただボーイソプラノとしてそこにあるだけのような、どこまでも澄み切った声が今でもたまらなく恋しいのです。

*1:'92年、'98年来日組も演じた十八番。