BOY’S VOICE 新・永遠の少年たち

少年の声と少年文化に特化したブログです。

静かで印象的な海外ドラマ・ドキュメンタリー

もともと戦争ものの映画やドラマを好んで見ることは少ないのですが*1第二次世界大戦頃のヨーロッパの映像には何故か後ろ髪を引かれることが多いようです。この時代特有のセピア色の映像美、クラシカルで気品のあるスタイルや服装、洗練された調度品の数々に心惹かれてしまうのが要因かもしれません。


また死と背中合わせの危険な日常を必死に生きる人々の凛とした美しさ・崇高さに胸打たれてしまいます。遠い過去でありながらも、どこか現代にも繋がる多くの人間ドラマが展開され、そのパワーを感じることも多々あります。


先日、BS2で放送された『失われた子供』という海外ドラマもやはり秀作でした。1940年のフランスの田舎が舞台。戦時中、行方不明になってしまった幼い我が子を探している一人の父親の話です。


3歳で生き別れた一人息子ルル、をなんとか見つけ出して再び一緒に暮らしたい、と捜索に情熱を傾ける父親ピエール。息子が消えた村を訪ね、養護施設で”息子らしい少年”アンドレと出会います。しかし、5年の月日のうちに一目見ただけでは息子と分からなくなったピエールは、アンドレの中に必死に息子の面影を探し出そうとします。


今ならDNA鑑定という残酷なほど正確な検査がありますが、当時はそれこそお互いの記憶やゆかりの品を頼りに探すことしかできません。アンドレは、実は敵国ドイツ人の子供だ、と施設の子供達から揶揄されている少年。ふっくらとした頬にちょっぴりいたずらっぽい瞳と我の強さを持ち、ピエールに対しても「僕をもらってくれるの?」と単刀直入に聞いてきます。


アンドレ自身は、自分がピエールの本当の子供でないことを一番良く知ってるのですが、強がる態度の奥に親のいない寂しさややりきれなさを隠し、少しずつピエールとローズ(彼の新しい恋人)との距離を縮めていきます。アンドレに夢中になり、自分の息子だと信じるピエールは、「養子」という形で彼との暮らしを始めようとします。


ところがその矢先、本当の息子ルルが現われてしまうのです。彼は5年の間に、赤の他人である女性を「本当の母」と信じて、ささやかな暮らしの中でも母子で支えあって幸せに暮らしていました。その姿を見て衝撃を受けるピエール。なんとかルルを自分の家に連れ帰ろうとするピエール。その姿に、一度は家族を持てると喜んだアンドレは現実の厳しさに打ちひしがれ、養護施設を抜け出すことを決意します。


さて2人の息子を前に、父ピエールはどうするのか・・・。その回答は、ローズがピエールに向けた「二人とも貴方の息子よ」という言葉にありました。最後は、苦難を乗り切った爽やかな二人の少年達の笑顔で終わります。


昨今は、”海よりも深い”はずの親子関係が壊れ、凄惨な事件が毎日のように起こっています。血の絆はもちろん大事でしょうが、親が親であるには、子が子であるには、生物学的な証拠の前に、思いやりと強い信頼関係こそが一番大事なのではないか、と感じたドラマでした。

【ドイツ兵の父を探す、仏人子供達】


一方で、このドラマに先立って、ある海外ドキュメンタリーをのことを思い出しました。BSの『私のお父さんは誰ですか~フランス・戦争の落とし子たち』です。第二次世界大戦後、ドイツ兵との間に生まれたフランス人ハーフの子供達。彼らが、60歳を越える今になって実の父親を探す、という行動を起こしているのです。


戦後、ドイツ人と関係を持ったということで丸刈りにされて人権も蹂躙された若き女性達。彼女達がひっそりと生んだ子供達は、当時あらゆる差別に苦しめられて生き抜いてきました。成長して歳を重ねた今、”顔も知らない”父親を求める気持ちが年々大きくなり、「もはや父親が生きていなくてもいい。どこの誰なのか知りたい。」という気持ちに突き動かされて続々とベルリンを訪問しているというのです。


実の母親から、ベルリンの軍施設内にある膨大な量の兵士記録と照合させるための情報を聞きだすのは至難のワザです。彼女達にとっては、消し難い人生の汚点ですらある、過去の真実を子供に知らせるのは、耐え難い苦痛でしかありません。なんとか聞き出せたとしても、それらは名前や住んでいた街など限られた情報です。


生きて再会できる可能性は本当にわずかですが、独系仏人のかつての子供達は、「せめて写真一枚でも満足できる。」と言います。実際に捜しあてても、もはや父親も故人となってることも珍しくありません。ドイツに帰ってから所帯を持ち、腹違いの兄弟姉妹が生まれていることもあります。


実際、亡き父の家族に自分のことを伝えて写真を送ってもらうことにした女性がいました。「できれば老人になってからじゃなくて、若い頃の写真がいいわ。」と笑顔で語るその女性を見て、彼女にとって自分がこの世に生まれてきたことのルーツを知ることは(たとえ望まれなかった誕生だとしても)、「誰が何と言おうと間違いなく正しいのだ。」と確信したいのではないのか、という気がしました。


一方で父親探しを続ける人々の中にも、複雑な思いがあります。もし、自分の父親が「ナチス党員であったならば、その事実は知りたくない。」というものです。自分の望む父は、非人道的な組織に属していて欲しくない。それならば知らない方がマシだ、と。一見かなり我儘な言い草に聞こえますが、彼らは幼い頃からすでに散々、人間の尊厳を傷つけられ生きてきた子供達なのです。その言葉は想像を越える重さです。


計り知れない”血”のもたらす結びつき。人は一体何を基準に、親子だと認めるのでしょうか。日々の暮らしの中の愛や信頼だけでは割り切れない、未知の感情が生き様にまで作用する神秘をつくづく感じてしまいます。

*1:残酷な戦闘&殺戮シーンはやはり苦手です。