BOY’S VOICE 新・永遠の少年たち

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白虎隊伝説(2)

山下智久ドラマと会津の思い出

とうとう山下智久主演『白虎隊』(テレビ朝日)が始まりました。前編を見て、まだ序章という感じかな、と。ドラマの感想は、クライマックスの後編を見てからでないとあまり詳細には言えませんが、20年前の大型時代劇『白虎隊』(日本テレビ)が完全なる史劇とすると、今回はホームドラマ調、両者併せて見ると「理解が深まるなあ〜」といった感じです。


それにしても雨に打たれた白虎隊の戦場の様子や自刃のシーンを見ると、毎回目頭が熱くなってしまいます。この分だと後編は、泣きすぎて目が腫れてしまうでしょうね。判官贔屓はもちろんのこと(笑)ですが、それ以上に私の中の”東国の血”がどうしても反応してしまいます。


それでも会津戊辰戦争の悲劇は、やはり会津の人間にしか語れない、と思っています。会津で戦った人々の子孫は、一体どれほどの無念さ、苦しみ、痛みや哀しみを味わい、万感の思いで100年余を過ごしてきたことでしょう。白虎隊のみならず老若男女が戦い、多数の犠牲に本当に胸が痛みます。


しかし、どんなに同情を語っても、我が藩(笑)は、土壇場で瀕死の会津を見捨ててしまったのですから気持ちは複雑だったりします。苦渋の選択の後、恭順の意をとなえて耐えたとしても、西軍からの非情な”お仕置き”をされ、憂き目を味わったようです。会津に加勢できなかったのは残念とはいえ、滅亡を覚悟での参戦は、確かにどう考えても無謀な試みだろうと・・・。


感情だけで歴史を判断するのは危険ですが、幕末維新について諸手を挙げて称えられないのはそんな背景があります。会津の悲劇は教科書で”綺麗ごとの歴史”として述べられたことではありません。賊軍の汚名を背負って、現代に伝わるまで負の歴史の中に埋没していた事実を、庶民の力で今に語り継いでいる、という重みを感じます。


せめて同じ日本人として、もう少し西軍に”武士の情け”を尊ぶ気持ちがあれば、まだ救われたのではないでしょうか。明治維新は、日本の歴史でも大転換期ではありましたが、多くの大事なもの(品性、品格、信念など)もあの時、随分失われてしまった気がしてなりません。

会津を訪れて】


私は、2度ほど会津に行った事があります。1度目は小学校の修学旅行、2度目は、今から20年ほど前になりますがドラマ「白虎隊」を見た後です(相変わらずミーハー魂で)。今回のドラマを見ていて、「会津若松駅って、あんなんだったっけ?」「白虎隊像見たっけ?」と愕然としてしまいました。


さすがに白虎隊記念館には行ったに違いない、と思うのですが記憶に残っていません(汗)。日新館の建物は、近年復元されたそうなのでそこはもちろん、行ってません。思い出となると、やはり飯盛山(白虎隊自刃の地)と鶴ヶ城になります。小学校では旅行の前にちょっとした学習時間があったので、白虎隊の歴史もちょっとは習ったのかもしれません。


しかし、福島・磐梯山などをグループ学習をしていて、私が興味があったのはむしろ野口英世の生家。子供の頃一番好きだったのが野口英世の伝記だったので、楽しみでなりませんでした(渋すぎ!)。それでも結局一番思い出に残ったのは、鶴ヶ城飯盛山でした。現地で袴姿の女性達が「白虎隊の舞」というのを、見せてくれたことは強烈に覚えています。


たとえ戊辰戦争や白虎隊のなんたるか、が分からなくても子供の感受性というのはどこか侮れないものがあって、幾つかの断片だけであっても、その場所の持つ悲劇性というものが伝わってきました。あの時、飯盛山はどこか霊山のような厳かさと悲哀を吸収した土地なんだと、おぼろげに感じたのです。


当時、記念撮影をした鶴ヶ城の美しさにも心打たれました。私の城好きは、あの時から芽生えたのだと思います。ドラマを見て歴史の背景が分かってから鶴ヶ城を訪れた時は、感動を新たにしました。大阪城は城の内部(しかも中央部)にエレベーターがあって興醒めだったのですが、鶴ヶ城は、木の階段を一段一段踏みしめて上りました。


城からの眺めは格別でしたが、一番胸が詰まったのは、売店で購入した戊辰戦争直後の鶴ヶ城の絵葉書(モノクロ写真)でした。実物のお城は、西軍からの大砲を数千発も打ち込まれて、今にも崩れそうなほどボロボロでした。まるで城の断末魔のあえぎが聞こえてきそうでした。


名城として名高く、城下の人々に愛されていた「お城」が、こんなに穴だらけの無残な姿になっていくのを見たとしたら、民にとっては燃えて崩れ落ちるよりもずっと辛いことでしょう。当然現在の鶴ヶ城は建て直されたものだということでお城としてはピカピカの新品の部類です。それでも、現在の姿で復元されて本当に良かったと思います。篭城して戦いに耐えた人々も多少は浮かばられるのではないかな、と。


時間があまり無くて飯盛山の白虎隊士の墓をちゃんと見られなかったのが一番の悔いです。やはり、今年あたりもう一度会津をじっくり廻りたいなあ・・・と思いました。いろいろな意味でまだまだこの悲劇から学ぶところは多い気がします。


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