BOY’S VOICE 新・永遠の少年たち

少年の声と少年文化に特化したブログです。

アレッド・ジョーンズにサインを貰った日

アレッド・ジョーンズ

'88年にアレッド・ジョーンズ(ALED JONES)が来日した時、若かりし頃の私もまた上京していました。本当の目的は、初来日となったレーゲンスブルク大聖堂聖歌隊のコンサートだったのですが、丁度その翌日が東京文化会館でのウィーンの森少年合唱団のコンサートで、その公演のゲスト*1としてアレッドの来日が予定されていました。


日本で最初にアレッドのアルバムが発売されたのが、すでに変声期が始まっていた頃だと思うので、日本でプロモーションを兼ねてこのコンサートに登場したアレッドは、青年期の入り口にさしかかっていました。見かけも幼少期のふっくら健康的な顔立ちから、シャープで華奢な白人の少年に変貌しており、英国のティーンエイジ・アイドル、と紹介されたら信じてしまいそうなハンサムボーイでした。


コンサート会場へ向かう途中でふと頭をよぎったのは、「早く待っていたら、もしかしたらサインを貰えるかも?」ということでした。この特別出演の他にもアレッドは、サイン会を予定していたのですが、日程が合わなかったので諦めていました。しかし、単純に入り待ち(笑)という手があったということに気付いたのです。


サイン色紙は?綺麗なノートはどこ?・・・といっても上野駅付近をあちこち廻って捜すヒマはなかったようで、かなり焦ってようやく見つけたのは、なぜかけろけろけろっぴ”のノート1冊・・・(汗)。「なんでよりにもよって、けろけろけろっぴなんだー!」と今でも思います。*2ま、このチグハグさは私の専売特許ではありますが。。。

【生アレッドを拝む】


それはともかく、一人、会場前で佇んでいると、ラフな青いポロシャツを着たアレッドが関係者兼通訳と思われる日本人の女性とともに話しながらこちらへ向かってきました。さすがにドキドキ・・・緊張しましたが、当たって砕けろ、とばかり英語でサインをお願いしました。アレッドは「Oh!・・・オーケー」といかにも普通の外人さんのように(笑)、慣れた表情でした。


慣れてないのはこの私、かなり慌てて手元が滑り、ボールペンのキャップをコロコロと彼の足元に落としてしまいました。すかさず、アレッドはそのキャップを拾って、柔らかな微笑みを見せて返してくれました。あまりにも自然なその態度に、ごく”躾の良い普通の少年”を感じましたが、よく考えてみれば、天下のアレッド・ジョーンズにキャップを拾わせてしまって「あっちゃー!」という感じで恐縮ものでした。


そんなこちらの冷や汗ものには、全く気付かず、サラサラとシンプルで読みやすいサインをしてくれたアレッド。私も、ちゃんとサインを貰えてホッと一息。英語もままならず(さすがに度胸もなかったので)、リハーサル前のちょっと緊張感が漂っていたアレッドには、それだけがやっとでした。


公演が終わってからの出待ちの頃は、主役の少年合唱団の子供達よりはるかに多くの女性達がアレッド目当てに大盛り上がりでした。入りとはうって変わってシックなスーツ姿に着替えたアレッドは、カメラを構える多くのファンの歓声に満面の笑みを見せていました。こんな状況ですから、この時は、とてもサインなんて求められる状態ではありません。

【懐かしき思い出】


ちょっとおまぬけではありましたが、”幸運を呼ぶ”けろけろけろっぴノートのおかげで、貴重なサインを貰えてとても良い思い出になりました。それにしても、ふっくらホッペの可愛いアレッドがあんなに変わってしまって、「一体私は誰と会ったんだろう?」と今でもふと不思議な気分になってしまいます。


むしろ、恰幅の良い今のアレッドの方が子供の頃の彼を彷彿とさせている気がします。カッコ良すぎ?て、少しだけガッカリしました・・・って贅沢至極でしょうか(笑)。


画像は、アレッドのサインと当時雑誌のプレゼント当選で届いたアレッドのサイン入りポストカードです。「未来を語る人が好きです・・・」(by 大同生命CM)という声が聞こえてきそうですね。

*1:オペレッタの語り手として参加。日本語での解説していて驚きました。

*2:ウブで幼い少女でもあればまたそれもあり、かもしれませんが。