BOY’S VOICE 新・永遠の少年たち

少年の声と少年文化に特化したブログです。

クリッパーのその後・後編

母国フィリピンへ帰国後

クリッパーの続報を書いたのがちょうど1ヶ月前。ずっと頭の中にはあったのですが、なかなかその後のクリッパーについて書くことに悩んでました。アナ・ミッシェルさんよりお借りした貴重な録音を元に、彼らの歌声について書きたいのですが、音が鳴らないブログなのでその印象をどう伝えたらいいのか、しばし思い悩み・・・。


あまり確かな内容ではないかもしれませんが、とにかく進みましょう。クリッパーが日本から去ったのは、'80年直前だったようです。所属する日本のレコード会社との契約が短期だったのか、それとも期待したほど人気がでなかったのか(涙)、詳しいところは全く分かりません。


その当時、ファンがメンバーに「この次は日本にいつ戻ってくるの?」という問いかけをしても、答えはバラバラで要領を得なかったようです。それでもクリッパー姉弟のお母様は、フィリピンから彼らの活動のテープを送り続けたようです。それを聞いて余計に哀しみが増してきました。日本での再活動を親子揃って願っていたのかもしれないと思うと。。。


私は日本から去って、すっかり音信不通になってしまった彼らは、「歌手活動を止めてしまったのかな?」と長年思い込んでいたのですが、さにあらず、実はクリッパーは母国フィリピンで'82年頃まで地道にグループ活動を続けていたのです。

【ダイアナ、ウォーレンをメインボーカルに活動再開】


今回、その存在を初めて知ったのが、フィリピンで発売された2枚目(?)のレコード、そしてTVやライブを集めたオムニバスのテープ*1からでした。少なくとも、もう一枚先に発売されたアルバムがあったようですが、いずれも日本盤とは異なる全くのオリジナル盤でした。


ちょっと微妙(笑)なLPジャケットですね。現存する2ndアルバムです。


フィリピンに戻った頃、デニスノエルは変声期を迎え、しばらくするとウォーレンも変声期に突入していきます。ソロの大半と高音部パートは、ほとんど長姉ダイアナが務めています。当時、17歳位になっていた彼女は、日本にいた頃よりずっと歌唱力がアップしているのが分かります。ボーカルのみならず、メンバー紹介などしっかりMCもこなしていました。


そして第二ソロのハスキーボイスは、パワフルな歌声を聞かせるウォーレン。このアルバムでもウォーレンの「GLORIA」から元気良く始まりました。しかし、変声期の中期あたりと思われるウォーレンは、子供時代もややハスキーな歌声だったと思われるため、かなりドスの効いた大人っぽい声なので、とても”クリッパー”という感じではありません(笑)。大人でも子供でもない中途半端な年代なので、これが愛するウォーレンじゃなければ、「うーん・・・汗」となっちゃうかも。



'80年。帰国直後でしょうか。フィリピンのTV公開録画時のもののようです。デニスが随分カッコ良く成長してますね。顔立ちが赤坂晃君みたい。


アルバムも1枚目のほうはだいぶ声も若々しく、TOKYOや上海などをネタにした”いかにも”な曲にもクリッパーらしさが溢れていました。しかし、この2枚目はどちらかというと泥臭い感じがしなくもなく、言われなければクリッパーとは気付かない感じでした。それでも、そんなあり得ないものがこの世に存在していたのが奇跡としか思えません。

【清らかなハーモニーは永遠に】


フィリピンに戻ってからの彼らの歌のレパートリーは、タガログ語で歌うオリジナルソングと、アメリカのヒットナンバーだったようです。クリッパーの並外れて美しいコーラスは、どちらかといういうと後者のほうが生き生きと伝わってくると思います。メンバーのほとんどが変声したのはとても悲しいのですが、それでもダイアナの歌声を中心としてあのクリッパー独特のハーモニーが失われずに残っていたのには感動しました。



日本で聴いた歌もいくつか歌われていました。発売時期はどちらが先か分かりませんが、「キャットマンディスコ」は、タガログ語バージョンで「HETO NA KAMI」(私達はほらもうここに、の意)、「悲しみの翼」は「SA LOOK NG DISCO」となって録音されていました。


他に現地のショーでダイアナが歌った「BOY」。ボーイソプラノのデニスの歌声が聴けないのは残念ですが、さすがに歌唱力は弟に劣らず、あの名曲が蘇ります。特に後半、日本語の歌詞で歌い始めたときには、やはり「BOY」には日本語の響きが格別!と思い直したものです。



リードで中央に立つのはウォーレン。立派なボーカリストに成長し、感涙。その姿を見たかった!5人の身長もほぼ同じにまで伸びてます。


TV番組やCMにも登場するメンバーの歌声も少し聴けました。「サウンド・オブ・ミュージック」の一節を歌い上げたり、メンバー紹介では得意のパワフルボイスで歌手のものまねをするウォーレン、最年少と紹介されてシャイに自己紹介するジョンジョンの姿、も目に浮かぶようです。QUEENの「ボヘミアン・ラプソディ」を熱唱するウォーレン。この頃になると、キッズグループではなく、ちょっとしたボーイズグループの趣です。


ザナドゥ」「FAME」「スター誕生」にビートルズナンバー。今のように優れた録音機器がない時代のものなので幾分こもりがちな音質なのは残念でしたが、それでもクリッパーのハーモニーは力強く、美しく、純粋な魂に溢れていて胸を打つものを変わらずに持ち続けていました。日本でもう何年か活動してくれたら、どんなに良かったことでしょう。でも、短い命であったとしても最も旬な美しい歌声の時期に日本で活動していてくれたことが実感できて、本当にありがたや〜、とも思うのです。


この場を借りて、このクリッパーの貴重な情報を与えてくれたアナ・ミッシェルさんに感謝して、第三弾を終わります。クリッパーについては、今後も変わらず追い続けていきますので、何か情報があればドシドシお寄せ下さい!!


boysvoice-2.hatenablog.com

*1:日本のファンが現地で録音してきた生テープです。信じられないほど貴重な逸品。