BOY’S VOICE 新・永遠の少年たち

少年の声と少年文化に特化したブログです。

’88 ドレスデン十字架合唱団の思い出(2)

団員と東京散策の1日

'88年の東京でのある1日、ドレスデン十字架合唱団の団員であるS君(およびその仲間達数名で)と貴重なフリータイムを過ごしました。といっても、お洒落さとは全くの無縁(笑)、旧東独の団員達が目指すは、電化製品のメッカ、秋葉原。私も以前、輸入盤を買いに寄った程度でしたが、ちょっと懐かしさを感じる街でした。


ホテルからの移動に地下鉄を使いました。切符を買うのもちょっと大変かな?と思っていたのですが、S君を始め、さほどの混乱もありませんでした。地下鉄の中でも、まるで東京に前から住んでいる外国人のごとく、非常に自然体です。迷路のような複雑な東京の路線図もこちらが驚くほど、的確におさえていました。


「(この路線図)難しくない?」*1と聞くと「いや、全然」と涼しい顔。思っていた以上に旅慣れていて頼もしく見えてきました。”DUTY FREE”の看板をめがけて彼らは、電器店に入ります。来日前からすでに日立製のコンポのを購入するよう決めていたS君は、店員に掛け合ってスムーズに交渉しています。


どこからか他のルートでやってきたドレスデン十字架合唱団団員が狭い店内に集まってきていました。特に少年団員がわらわらと楽しげにドイツ語で話しながら、小さなラジカセを見ている光景が印象的でした。すぐに目当てのデッキを見つけて、「これこれ」と指さしている子、ダブルデッキのOPENボタンを何度か押して確かめてる子など、それぞれ真剣な眼差し。


同行の少年A君(仮称)は、盛り上がってる団員達とラジカセを無表情に眺めながら、じっと佇んでいました。他の子達は、日本で最先端のお土産を買うように、と親御さんにお小遣いを渡されていたのだと思います。しかしA君は、どうやら自分の自由になるお金がほとんどなかったようです。


ちょっと声をかけてみたのですが、無口な彼は反応を返さず、ただラジカセを見つめるばかり。ちょっと切ない気持ちになったひとときでした。A君がその電器店を離れて、ポロッと「欲しい」と語ったのはなんとお醤油でした。残念ながら、秋葉原ににあまりにそぐわない商品(笑)で買う場所がなく、途方に暮れるだけ。きっと母親や家族へのお土産に考えたものなのでしょう。今に至るまで無口なこの少年に「キッコーマン」を渡せなかったのが心残りです。。。


他の店にも立ち寄って、そこから軽く散歩のような感じで歩いていました。次にどこに行こうか、と地下鉄の路線を見ていると、一緒にいた日本人ファンからA君が「地下鉄代が高いから送迎バスで行きたい。」と言ってる、ということを聞きました。この時も私は衝撃を受けました。子供料金は当時50円程度。


思えば貨幣価値は、交換レートの違いで何倍にも変わるものなのです。それは知識として知っていても、実感したのは初めての体験でした。*2私達が普通に生活していて当たり前だと思ってることが決してそうではない、ということを学んだ気がします。

【ありふれた1日は、世界に繋がる】


肝心のS君とは、語学力にハンデがあり過ぎて何を話したかあまり覚えていません(汗)が、質問をすれば丁寧に語ろうとしてくれる誠実さには感動を覚えました。音楽教育の話や合唱団の練習など突っ込んだ話ができないのは残念でしたが、団員達が普通の青少年とはなんら変わらないけれども、やはりどこか違った規律正しさを持っていることを実感しました。


S君とホテルへ帰る道すがら、ふと彼が地図も無く難なく歩き回ってることに気付き、「ここ何度も通ってるの?」と聞きました。彼は、「いや一度くらいかな。」と答えたのですが、これにもまたビックリ。迷路のような東京の街中を帰巣本能を持つ鳥でもあるかのように、瞬時に覚えてしまえるなんて「恐るべし・・・ドイツ人」。


夕方、ロビーで最後の会話をしていると、1人の少年が駆け込んできてS君に何かを真剣に聞いていました。その後、また2,3人の少年達が寄ってきて何か話していきます。どうも彼に何か指示を受けているような感じだな、と思い、後になってハタと気付きました。どうやら彼は指揮者とは別に、合唱団でもリーダー的な存在の団員だったようなのです。そんな別格の団員がペンパルだったとは、露知らず「ハハハ・・・(冷や汗)」でした。


そしてそんな短い逢瀬?は終わり、田舎へ帰った翌日、驚きのニュースが新聞に掲載されました。「ドレスデン十字架合唱団の団員3人が夜中にホテルを抜け出し、西ドイツ大使館に駆け込んで亡命」。東西ドイツ統一の約1年前の出来事でした。私が会った100人あまりの団員達に、家族と一生会えなくなるかもしれない・・・そんな悲愴な覚悟で日本入りしていた少年達がいたのか、と思うと一層衝撃を受けたものです。


この1年後、今度はドイツ旅行でS君と再会し、ドレスデンを訪問しました。この時の忘れられない思い出話はまた別の機会に書きたいと思います。S君は、ドレスデン十字架合唱団の卒業コンサートでは、副指揮者としてタクトを振らせてもらったそうです。そして演奏者としての道を歩み始めました。


私も人生の転機があり、S君も忙しい毎日を過ごしていたと思います。手紙は次第に少なくなり、彼の結婚と赤ちゃんの誕生カードを最後に途絶えてしまいました。そんな彼の息子さんもそろそろ合唱団の少年団員になりそうなお年頃(笑)。今回来日メンバーには名前がなかったのですが、どこかの町の合唱団員になっていたら・・・などと想像して楽しんでいます。


boysvoice-2.hatenablog.com

*1:当時、私の方がチンプンカンプンだったので。

*2:その後、東独に旅行して更に日独の貨幣価値の違いを改めて認識しました。